御影市場は、50店を超える商店(現在は40超)が組合組織でまとまっているため、地域活性化や販売促進のために大掛かりな施策をとることができます。例えば、御影市場では昭和45(1970)年にポイントカードを導入するなど時代に先駆けた施策を実施してきました。
また、毎年、中元・歳末大売出しや数々のイベントを行ってもいます。昭和の写真のいくつかを見てみましょう。
昭和48(1973)年7月末〜8月初、中元大売出しの風景です。

(スイカが飛ぶように売れる)

(八百屋さんの若旦那)

(メインイベントの福引き。なんと1等景品エアコン!)
次は、昭和52(1977)年7月末〜8月初、中元大売出しの風景です。

(ベビー用品店(左)とおもちゃ屋さん(右)。ベビーブームの時代)

(お客さんが多すぎて、屋外に福引き会場を設置)
かつて、駅前に御影工業高校(現在の御影クラッセの位置)があり、高校と鉄道高架の間には東西に道路が走っていました。この道路を歩行者天国にして、毎年夏に「沢の井夜店」というお祭りイベントが開催されていました。
平成元(1989)年7月22日の夜店の風景です。

(金魚すくい)

(おもちゃ釣りを設置する奥様部隊)

(きれいどころ集合)

(スーパーボールすくい)

(看板娘達のポップコーン屋)
次は、平成5年の「沢の井夜店」の風景です。

(通りを埋める人だかり)

(かき氷1杯100円。)

(「じゃんけんマン」と3回勝負)
毎年夜店が開かれていた道路は、阪急・阪神グループのショッピングモール「御影クラッセ」の開業と同時に、拡張整備されて「阪神御影駅前線」に生まれ変わりました。

(平成20(2008)年2月29日、阪神御影駅前線開通式)

(平成19(2007)年1月、御影工業高校撤去工事)

(平成20(2008)年2月29日、御影クラッセ工事完了)
「商売敵(がたき)」になるかも知れない御影クラッセが建設される計画が持ち上がった時、御影市場がどのような立場をとったのか疑問を持つ人もいるでしょう。反対運動でもしたのでしょうか?
実は、御影市場は御影クラッセを大歓迎しました。御影市場と御影クラッセ、それぞれの商業施設の性格もターゲット顧客層も違うため、相乗効果を期待できると考えたためです。阪神電鉄との長年の友好・信頼関係があったことも、このような御影市場の肯定的な考え方につながった理由の一つでしょう。
現在では夜店を開催する場所が無くなってしまったのですが、かつて夜店に来ていた少年少女世代の大人たちのために、毎年春と秋の2回、地元の蔵元(酒造メーカー)を集めて「酒祭り」イベントを開催しています。
(令和5(2023)年4月23日、酒祭りでごった返す御影市場)
(現代の「チンドン屋」)
(ツマミも飛ぶように売れる)
(令和6(2024)年4月28日、酒祭り。大忙し)
(日本酒だけでなく、ツマミも豊富)
(大迫力のジャズバンド。人だかりの中を練り歩く)
令和2(2020)年は、前身の「御影中西市場」の誕生から100周年を記念する年でした。御影市場では、前(令和元)年から100周年イベントのために入念な準備を進めていました。100年にたった一度の節目となる大イベントです。もちろん阪神電鉄にもイベントの広報には協力してもらいます。お客さんたちが驚くような企画や目の飛び出るような景品を準備しながら、御影市場一同、皆ワクワクして初春を待ちわびていました。

(ダイヤモンド・プリンセス号。未知のウイルスに対する恐怖の始まり)
ところが、2020年初頭から日本でも新型コロナウイルスが流行しはじめ、日本中そうであったのと同じように、御影市場誕生100周年イベントも、開催をほんの目と鼻の先にしながら幻と消えてしまいました。
今昔編は今回で一応終了です(歴史の話は今後も挟んでいくつもりですが)。読んでいただきありがとうございます。御影市場では、その存続のためにChange.orgでネット署名活動をしています。趣旨に賛同していただける方のご協力をお願いいたします。
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